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金属をたたいてつくる人 の忘備録です

雑誌掲載のお知らせ

I'm home  no.111 2021 May 光、風、植物。自然を感じる家づくり」2021年03月16日発売。 P191にかねへんのモビールを紹介いただいています。建築系の隔月の雑誌です。

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基本的に、モノに全てを託しているので、説明する必要はあまり感じていないのだけど、今回はコロナ禍で、会場にもゆけない。何か言葉にしようと文章を書いたりもした。(とりあえず、会場には貼ったけど、未だ推敲中なのでそのうちここにも書くかもしれない)それから、会期中に雑誌の取材もあり、いろいろ話し、記事にもなった。そんなこんなで、私の中では当然と思っていることも、人から見るとそうでもないようなので、改めて文章にまとめたいと思っているが、本当に難しい。

なぜモビールをつくることになったのか、は、自分の中では割と必然で、物理的で身体的な制約の連続で、全然楽しい話ではない。(もし、無限の体力と時間があったら今でも王道の一枚絞りThe鍛金をやりたい気持ちはある。)楽しく話せるのが、モビールと言うものの楽しさと面白さを教えてくれた、ピカソデュシャンの時代に生きていたカルダーという彫刻家の事だったので、ああいう文章になったのだと思う。

カルダーはモビールにたどり着くためには必須の人ではあるけれど、やはり、きっかけでしかなく、こうしてつくり続ける事のできる原動力は、平たく言えば買ってくれる人がいるからと言うことになる。それは私という生き方の社会との関わりの結果で、現象のような意味で。

モビールをつくり始めて、まず求められたのは国外ばかりだった。モビールをオンラインで販売してくれたアナログライフさん、その後、イギリスでの展示があり、昨年のオンラインでは半数が国内になり、今回の個展ではほぼ国内のみだったらしい。日本でもモビールが売れるようになったんだなぁと、ちょっと感慨深い。

と、そこでまた、なぜモビールをつくるのかを考えている。個展が終わり、やっと綱渡り気味だった日々が落ち着きはじめて、モビールに私が求めるものはなんだろうかと考えていて、花や植物のようなものかな、と思うようになった。

春から秋は庭の花があるけれど、いつの頃からか冬には花屋で花を時々買う習慣が身についた時期があった。(そういえば今は日々忙殺ですっかり忘れているけど)昔飼っていた犬が亡くなった時、叔母が白いトルコキキョウの花をくれた。いまでも、その時のことを思い出す。植物は喋れないけれど、そこで生きている。そこに気配がある。ただ、そこにあるだけで良い。
そういうものをつくれたらと、思っている。

と、ここまで書いて、嘘は書いていない。それに、雑誌の記事にも嘘は書いてない。だけれども、とても私の思っていることや感じていることを説明できているとも思えない。言葉はなんて難しいのだろう。言葉にできていたら物書きになるのだろうし、だからこそ、私はつくる人なのかもしれないなぁと、思う。