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金属をたたいてつくる人 の忘備録です

今日のベリーグッド しあわせを生む小さな種

松浦弥太郎著 2013年の本

暮らしの手帖が変わった時に、あまり良い印象ではなかったので、なんとなく敬遠して、それ以来興味は特になかったのだけど、なんとなく図書館で手にとって、意外にものすごく感銘を受けた。というか、モヤモヤしていたことが言語化されていてびっくりしたのです。

本の中には「しあわせを生む小さな種」となる、短い話がたくさん入っているのだけど、その中のひとつ、引用してしまうけれど。
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「工夫とは愛情」
何を習うにしても学ぶにしても、工夫がなくてもできることはたくさんあります。単に人のやり方の真似をする。かたちだけを習う。とりあえず体裁が整えばいい。 そういった考え方もあります。
「こうすれば恥ずかしくないマナーですよ」と、教えたとおりにふるまえば、なるほど、その場はうまくこなせるでしょう。「これだけ覚えておけば、プロ並みの料理に見えますよ」と習ったとおり盛りつければ。たいそうおいしそうなごちそうができあがるかもしれません。
しかし、そこには心が欠けています。やり方を覚えることはできても、感動を与えるような自分らしい表現はできない。そんなものをつなぎあわせて、誰かとつながろうなど、はなから無理な話です。うわべだけを取り繕って自分の花を咲かせようなど、種まきにすらなっていません。
教わったことに加えて、自分なりの工夫をしましょう。よくあるパターンでやすやすとこなせるなら、「もっとよくするにはどうすればいいんだろう」と考え、工夫し、試行錯誤して、うんとよくしましょう。工夫を自分がすればそこに心が入り、心が入れば愛情がこもります。
その時に気をつけないといけないのは。「工夫しよう」と思い詰めて、考えたり思ったりするだけでなにもしなくなってしまうこと。立ち止まるのではなく、行動しながら工夫する、このプロセスがよいのではないかと思います。
簡単なのがすごい、ラクなのがいい、手間をかけないのが賢い。そんなことを、いったい誰が決めたのでしょう。うんうん唸って、「十分にいいけれど、もっとよくしたい!」と考えて工夫するのは、苦労ではなくしあわせだと僕は思うのです。


今年、クラフトフェアをぐるっと回って、とても良い感じなのだけど、なんだか淡白というか、あっさりした印象を受けた。なんだろう、薄いというか、それが=若いだけではない、何かがもっと、こう、んーーーーと!みたいに、何か足りない印象でモヤモヤしていた。

フェアの会場で、何人かと話したけれど。たぶん、世代交代というか、そういう仕事を始めた最初の人達はもうほとんど居なくて、先人をみてこの世界に入った人たちが多くなっているんじゃないかと。おせっかいかもしれないが、まねるだけではだめなのだ、心を入れよう、愛情を込めよう、いい仕事をしよう、きっとそれが使い手にもわかるから。