kanehen

金属をたたいてつくる人 の忘備録です

子どもを育てながら仕事をすること

総合職の女性は、なぜ会社を辞めてしまうのか。「育休世代」の本音とジレンマーー中野円佳さんに聞く
http://www.huffingtonpost.jp/2015/04/12/ikukyu-sedai-madoka-nakano_n_7048852.html

新書『育休世代のジレンマ 女性活用はなぜ失敗するのか』(光文社)という著書もある中野円佳さんの上記の記事を読んで。特に、「働きつづけるために意欲を冷却する女性」というのが、ものすごく心当たりがあった、今まで言葉にできなかったけれど、そういう事だったのかと。

私自身の経験で言えば、勤め人である夫は産前産後の約2週間程の産休、3才までは定時で帰れる部署だった。それすらない会社のほうが多いであろう事は想像がつくので、これだけでもとても有り難かった。娘の好みで時々どうしても私でないと寝かしつけは出来ない時期もあったが、それ以外は私と同じように育児はできるし、家事も高い所や危ない事などは率先してやってくれる。休日は私が制作で忙しいと食事の用意や掃除や洗濯も、言えばなんでもやってくれるので、冷静に考えると超イクメンだと思う。それでも、私はイライラするときがある。

夫は勤め人だから、私が仕事をセーブしなければ子どもは育てられない。

出産の前、ちょうどそれまで7年程かけて仕事が広がってきた時期だった。それをあちこち断ったり、延期したりした。産後三ヶ月の時に、少しでもと初めてグループ展に参加させてもらい、その後も3年間、なんとか制作ペースをつかもうとスケジュールを入れて、展示会をしてきた。去年は大人数のグループ展でなく、3人展もした。ただ、漠然と、個展は無理だと思っていた。

制作はかなり、あがいていたと思う。でも、展示会場に行った時、なんとも言えない気持ちになった。新作がほとんどつくれていなかった。つくったけれども、思う数量ができなかった。いつまでも、こんな展示をしていては駄目だと自分の現状を理解した。自分は何をしたいのかと、自分に問いかけた。

子どもとの時間は本当に至福の時で、何にも代え難い。ましてそれが幼少期ともなればあっという間だ。それでも、かねへんとして制作する事、それはまた比べる事ができないくらいに重要だった。考えれば考える程、ジレンマに陥り、イライラに苛まれて、混乱した。

そして、今年春の展示でしばらく企画展の類を休む事にした。(取扱店などの定番品の注文などは継続しています)やはり、企画展には新しい試みや、意図を感じてもらえる「企画」があるべきで、いつもの定番品だけでは提言にならないと、明確に思えたから。実は、もう来年の秋には企画展を予定しているのだけれど、それまでの2年間を休みにして、試作を重ねようと、思いを切り替えた。

母としての私はともかく、かねへんとしての私は、こう思えるまでの3年間程、振り返るとほんとうにしんどかった。定職に就いた夫がいて、腰掛けで仕事をしていると思われているんじゃないか?とか、力を抜いて、本気でやっていないのじゃないか?とか。自分自身、子どもや家の事で、制作が思うように出来ない事も多くて、納期が遅れる事を諦めても、しかたないと気に病まないでいるほうをとっていたこともある。それでも、遅れればやっぱり悔しい気持ちが無い訳が無い。

お付き合いしているお店の方や、家族、両親など周りの理解、環境はこれ以上無いくらい恵まれていると、比較すれば思う。でも、それでも少し前の私はかなり大変だった。ちょっと前にタレントのセレブ(?)の人が1週間に1回は子どもを預けて夫とデートしたいと言って叩かれていたみたいだけど、それ、普通の希望だと思う。

心の準備はある程度できるかもしれないけれど、出産してそれまでの生活が一変して、そして、いつかは子どもも巣立ってゆくと思えば、その子育ての期間をどう過ごすか、それはかなりの難問だ。どの時期にどんな事が起こるのか、すべてを適切にしたいと思うけれど、至難の業だもの。

そして、とりあえず、私は産後の混乱からは抜け出たと思う。立ち止まる事で、やっと前を向く事ができた思う。それは私のがんばりではなくて、周りの理解や環境の賜物だ。

平たく言う感じになってしまうけれど、「思いやり」が無くなってきていると言われる昨今ですが、皆で子どもを育てる意識になると良いなと思います。とりあえず、家族で夕飯を6時台に食べられる社会になってほしい、それがあたりまえくらいの。