kanehen

金属をたたいてつくる人 の忘備録です

5年目に

今年になって、3.11のことをずっと考えていた、関連の本やブログなどもいろいろ読んでいる。なぜだかわからないけれど、そういう気持ちになった年だった。3.11の4ヶ月前に娘が生まれていたこともあり、私は未だに関東以北に行っていない。何も自分では見ていない。このことについて、見るべきもの、知るべきこと、理解すべきことが山積み。

昨年までの、スイッチで言うところのOFF状態から、今年はかねへんをONにした。ものをつくることは仕事としての部分ではなく「つくること=私自身」であるので、外界とのスイッチがONになったということなのかもしれない。
 

5年が過ぎて、ぎりぎりの30代後半から今年で40代半ばになります。子供が巣立つ、あと10〜15年くらいは主婦兼業かねへんなので、たぶん独身の時のように100%とか、120%で仕事をすることはない。なぜなら、この5年でそれをすると娘が体調を崩すことを何度か繰り返したから。

私のキャパシティはものすごく少ないので、そういうことになる。だから、いつも余力を残しておかないといけない。たぶん、つくるものも自ずと変わるだろう。それに、いつまでも若い時のスタイルでつくれるほうが奇異にも思える。その限られた中で、私は何をつくるべきなのか、その価値のあるものとは何なのかと、ずっとこの5年考えていたような気がする。
 

少し前に、山下達郎のコンサートに初めて行った。日曜の午後のラジヲを聞いているうちに、アルバムが出れば聞くかな程度。63歳だそうで「若い頃につくった歌をコンサートで順番にやるだけでだいぶ老後の楽しみになる」とか。

とりあえず、ものすごく歌の上手いクソ真面目なおじさんなんだな、と理解しました。一番有名だからと必ず「クリスマス・イブ」を歌い、マイクを通さずに生歌も歌い、せいぜい2時間くらいか?と勝手に思っていたら3時間以上の長さだった、だいぶお腹いっぱいになった。この63歳ってすごい。
 

歌はモノとは違い、直接的に訴えられるものだからかもしれないが、そこには常に祈りがあった。ピアニストのいとこも、自分がピアノに向かう理由は世界の平和を祈るためだと少し前にブログで書いていた。便乗という訳では無いけれど、私がつくることも祈りとしたい。つくる理由、つくる価値、そんなものを迷う必要もなかった。

もちろん、品物をつくって、売って、お金にして、ま、生活の足しにしたり、おやつになったり。それに、つくったものが評価されたいとか、良いものをつくりたいとか、個人のいわゆる欲望的な意味合いも無い訳では無い。けれども、日々考え、祈るようにつくりたい。
こんなことを考えるなんて、もしや、年をとったからなのか?と、思う。けれど、年を重ねること、それはそれで楽しみだ。