kanehen

金属をたたいてつくる人 の忘備録です

名古屋

福岡、望雲さんでの展示も始まっておりますが、家族で名古屋色々。


ドイツパンのブルーデルでサンドイッチなど買い込み、オープン前のアナログライフさんの駐車場でもぐもぐたべていた怪しげな家族がいたのです。金属の大山求さん個展2日目でした。

偶然にも大山さん在廊中で、色々お話しさせていただきました。山口県、未踏の地なので、是非、いつか行ってみたい。鉄のお仕事が多めで、ご自身でされているという琺瑯仕上げが、どこか懐かしさを感じさせるモノ達でした。写真撮り忘れ残念。

そして、アナログライフには1点モビールをお納めしてきました。

で、そこからsahanの「よつあし展」こどもといると母モードなので、なかなか集中して鑑賞できず、しっとり空気を感じるまでが難しかったのですが、とりあえず、行けてよかった。で、都会だ都会ということで、大塚屋で、枕カバー用の布を買い、バレッタの金具を買い、最後に名古屋高島屋へ。

3年前にも名古屋の百貨店で個展されていた、先輩の渡辺国夫さん個展へ。釉薬の細やかな仕事は同じ工芸科でも鍛金専攻の私から見るとなにが何やらちんぷんかんぷんですが、うっとり。素敵なものを拝見させていただき、正に福眼、目の保養でございました。

夫のおちょこコレクション(写真の黄緑のは3年前の)がまた増えるので、たのしみです。帰りは地下街で夕飯を食べ、寒い中イルミネーションの周りを練り歩いて、往復の車の中では色々な話をして、子供も楽しかったようでよかったです。

分人

ドライヤーで熱してワックスを塗って、冷めてから乾いた布で拭きあげて、前日に見取り図を描いて貼っておいた箱に入れてモビールは完成。

で、タイトルの分人。偶然にクラシコムのメルマガで、エッセイでアトリエナルセのデザイナー・成瀬文子さんが紹介していた。(これはメルマガでないと読めないみたい)その数時間前には、FBでパン屋(でいいのか?)わざわざの平田はる香さんがBAMPでインタビュー「経営者の孤独」を受けていて、同じ本を紹介していた。

どちらも母親で、年齢も割と近く、内容は興味深かった。私自身は古典的母親像に捕らわれている部分を、割と多く持っていると、日々の中で自覚している。だけれども、流されているのではなく、選択して来たという自負もある。あるけれど、この問題には深く長い河があって、沼もあって、湖もある感じ、ゆくゆくは大海原に流れ込むわけです。

だから、この事を考えるためのツールはいくつあっても足りない。というわけで、その本、『私とは何か〜「個人」から「分人」へ』著/平野啓一郎 講談社現代新書を近いうちに読みたい、メモ。
 

阿寺渓谷

おばの見舞いの前に、いつものお気に入りの場所で散歩。今年は体調のこともあり、思い出すとここにも夏前から来ていなかったような気がする。

今年は、大雨だか台風だかで、上流から大量の砂利が河口に流れ込み、随分と珍しい姿になっていた。夏には沢山のBBQする人がいたらしい。中洲が出来て、そこへ繋がるように、飛び石を誰かが置いたようだ。

昨日は小春日和と言うのだろうか、日差しが暖かく、外で仕事をするには最適な日だった。渓谷の上へと向かう道には沢山の落ち葉が降り積もっていて、それを畑の肥やしにするためと思われる素敵な被り物をしたお姉さんが、袋にこれでもかと落ち葉をぎゅうぎゅう詰め込んでいた。

橋の上でしばらく写真を撮っていると、「暖かいですね、写真撮れましたかー?」と聞かれたので「いいお天気で、きっといい写真撮れたと思います!」と、返しておいた。キラキラした午前の陽射しが撮れたと思う。




遠い記憶

浪人時代だろうか、一時期古本屋でクリーム色のイラスト入り背表紙の講談社現代新書や、波の柄の岩波新書とか、まぁその頃はとにかく目に付いた古本を数冊買っては読むというのをジャンル問わず繰り返していたから、その「目に付く」というのが比較的ビジュアルに偏った記憶で残っていて、今となっては内容はあまり覚えていない。

そしていつの間にか、自分の傾向がわかり趣味嗜好で本を選ぶようになり、新書の類はよほど好きな作家のものでもあっても手に取らなくなって久しい。たぶん、薄すぎてすぐ読み終わってしまい、そのあと読み返す事も少ないというのもあるだろうし、あまりに直接的、センセーショナルなタイトルに、読んだような気になってしまうからと言うのもあるかもしれない。まぁ、とにかく、今我が家の本棚にはほとんど新書は無い。

そんな私が、珍しく新書の、それも社会学政治学?の本を読んだ。

<平成>の正体、<平成>を6つのキーワードで読み解く、「ポスト工業化」「ネオリベラリズム」「格差社会」「ポスト冷戦」「五五体制の終焉」「日常の政治」副題には、なぜこの社会は機能不全に陥ったのか、とある。

芸術、美術も外側からの数値化、分析はなかなか客観的に、平たく明快にすることはできないけれど、政治学もどうやらそれは同じようだ。もちろん経済学や統計学なども全く関係ないわけではないだろうから、数字で現れる部分もないはずはない。だけれど、それは美術品の金額という数字=価値であり芸術性の高さ、ではないことと、たぶん変わりが無い。そういう類の数値化しにくい事を学術として、言語を重ね、過去の研究を踏まえて書くと、どうしても独特の言い回しになるので、普段からその系の本を読んでいない人間からするととても読みにくい。

それから、私が好んで読む本は、「私」が大事なんだな、と読んでいて気がついた。政治学の本で「私」を語っても仕方がないのかもしれないけれど、何か壮大な社会について俯瞰して語っているような、概念と概念を戦わせているような、雲をも掴むかのようなマクロな話であって、私が入り込む余地を探すのに難儀した。

それでも、なんとか読みきったのはこの本の著者を知っているからなのだけど。知っていると言っても子供の頃の話。夏休みに家族で父の実家へ帰省して、いつも挨拶に行く親類の家があった。その家は確か男の子が3人兄弟で、彼らは白目が輝いて見えるほどに、びっくりするほど真っ黒に日焼けして素足にビーチサンダルを履き、近くを流れる河をどこまでも泳いでいけそうだった。当時関東暮らしだった私には、なかなか衝撃的な黒さだった。私の同級生の誰よりも黒かったと思う。まぁ、それしか彼について覚えていない。

今、私はその親類が住んでいた街に住んで子育てをしている。我が子は関東暮らしのいとこ達に比べて確かに夏は真っ黒になる。この本の著者で遠い記憶の彼であるところの藤井達夫さんは、今は関東に暮らしているらしい。不思議な縁だ、関東育ちが地方に住むのは物好きだからだが、地方の優秀な人が関東に出て行って、戻ってこない事は残念ながらよくある事だ。

本書は、<平成>を読み解きつつ、悲痛な面持ちで未来を見つめる。同年代として、それらは間違いなく今の姿であると、認識した。未来を思うと、自分の無力さに苛立ちを隠しようがない。陳腐だろうと何だろうと、今は変わらないが、未来は変わると唱えるしかない。できるだけ遠くを見て、日々暮らしてゆくしかない。

神在月

死ぬまでに出雲詣でをしたいという義両親とともに、家族で鳥取、島根の旅。盛りだくさんすぎてすでに記憶の彼方の事もあるような気もしますが、行けてよかった。旅の途中で子は8才の誕生日を迎え、皆で祝った。八百万の神様に会えたのだろうか、とにかく、めでたい。
水木しげるロードのライトアップ
コケカキーキー知ってる?
大山
横山大観と紅葉庭園
宍道湖しんじこって読めなかった
松江城

石垣が素敵
8才おめでとう
早朝参拝
出雲大社
稲佐の浜

ぜんざい

おやつ

最近、秋だからかおやつ作りにせいをだしている。ような気がする。焼き菓子はオーブンで部屋も暖かくいい匂いになるし。


金曜日は子の習い事の関係で夕飯前に軽食をとるので、おやきをつくった。皮はお笑いの女性トリオの大島さんの粉物の本、あ、今確認したら村上さんだった。こちら。適当にアレンジしつつおやき。中身はまだ野沢菜が手に入らないので、蕪の葉としいたけ。

それから、週末遠出するので、車に積んでおけるお菓子として、ビスコッティ。子が幼稚園で間食が頻繁だった頃はほんとうに良く焼いていたが、今のように帰宅して一息入れたらもう夕飯となると、おやつは気持ちの問題でむしろ夕飯のために飴玉一つ程度にして欲しい。そんなことですっかりつくらなくなっていたビスコッティですが、今回は少し前にきな粉ドーナツを作った残りのきな粉を使い切ってしまいたかったので、きな粉と黒糖、くるみのビスコッティになりました。うっかり一切れを大きく作りすぎた。

今週は家仕事と雑事で終わってしまい、来週は振替休日と祝日で3日間しかない。さて、頑張らないでどこまでできるかな。

見える見えない

モビールはとても微妙なバランスで成立しているので、パーツの順序を間違えると、保てない。少なくても5枚、多いときは10枚以上のパーツをつなぎ合わせるので、超初期につくったもの数点以外は全てパーツに刻印で、ナンバリングしてある。

2の刻印

この刻印、30歳頃から使っている2mmものが最近よく見えない。ちなみに、10年ほど前は野外イベントで<勝手にワークショップ>と、題して、プレートやペーパーウエイトに刻印を打ち放題、というのをやったりしていたのだが、年上のお姉さんに「見えないわよー」と、言われて、そう言うものなのか、とボンヤリ思っていたが、とうとう私にも老眼が始まったということだろう。

ということで、文字の小さな本を読む時や、針仕事をする時や、モビールの刻印を打つときだけ、メガネをかけています。で、出先に持ち歩きたくて、夏には自分で綿麻の布でメガネケースを作ったりしていたのですが、そろそろ寒いな、と思っていて発見!

小河さんのウールのメガネ(携帯)入れ。組織は詳しくないけど、よーく見ると生地が小花模様になっていて可憐。黄色は玉ねぎだそうですが、生成りとのツートンが甘過ぎなくてツボでした。これがカバンの中や部屋に転がっているのは結構幸せです。メガネも悪いことばかりでは無いですね。