kanehen

金属をたたいてつくる人 の忘備録です

はじまりました。

兵庫県小野市のlizmさんでの個展、始まりました。

 


ほぼ展示はお任せで、設営の仕上げな感じで前日に到着。相談させていただきながら仕上げをして、初日を迎えました。

すべての定番のモビールを並べたのは、今回が初めてです。アトリエでも、全部を並べることはできないですし、普通の天井高の空間に並べたらたぶん圧迫感がものすごいので、展示として成立したのはこのlizmさんの空間あってこそなんだなぁと、しみじみ眺めました。

卓上も、今回は懐かしの真鍮製のタイプや、偶然にも同じ小野市で制作されている「ふじい製作所」さんの木製タイプ、そしてガラスのタイプも合わせて20点ほど納めさせていただきました。試行錯誤してきたこの数年の集大成のような展示になりました。

明日、木曜日はおやすみです。10月29日までの展示、多くの方にご覧いただけますように。

kanehen solo exhibition

田んぼの真ん中のモダンなギャラリー、兵庫県小野市のlizmさんで個展です。lizmさんと2Fのカフェはオープンして2周年。

今回はリズムさんのコンクリート打ちっぱなしのグレーに似合う黒のモビールもいつもより多めに持ってゆきます。卓上も定番と1点ものも含めていろいろと。吊るしの定番は全種類持ってゆきます。オリジナルの普段よりも大きなものも空間に合わせて用意しました。

秋の空と木漏れ日の、気持ちの良い空間になることと思います。ぜひ足をお運びください。

会期 10/7(土)-29(日) *木曜定休  13:00-17:00
在廊日 10/7(土)

675-1361 兵庫県小野市住吉町534
tel 0794-60-5901

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モビールは空間を泳いでいるようだな、
という感覚を覚えます。
それは水族館という有限の空間にいるマンタが、
水の流れを捉え、悠然と泳いでいる様にも似ています。

真鍮の薄板と丸棒で構成され、
バランスをとり生み出されたフォルム。
限りある動きの中で、
空気の流れをゆっくりと捉え、
常に変わり続けます。

木漏れ日の移り変わり、
風にしなる草や枝、
水面。
あるいは空にある雲と同じように、
日々の暮らしの中で、潜在的に見ている
気配のようなものを写し取った存在が、
モビールのように思います。

今展では、lizmの空間のグレーの壁面に映える、
黒染めのモビールを中心に、
大きなものから、小さな卓上モビールまで、
様々な作品をご用意いただきます。

自身の感覚に立ち返らせてくれる、
共に暮らすモビールとの佳き出会いの場となれますよう。

【food event】
lizm & 十三月の窓にて販売予定
○ 10/7(土) 焼き菓子の販売
○ 10/14(土) 沖縄 宗像堂さんのパンの販売 

 

 

つくるふつうの日々

兵庫県小野市のlizmさんでの個展もあとひと月を切って、つくってます。



今回の展示、リズムさんがとにかく素敵な空間なので、いろいろ迷いに迷って、悩んで、つくるワクワクの前にこんなにしんどい気持ちになるのは珍しく、戸惑い気味で個展用の制作をスタートした夏の初め。

夏日が7月半ばからずーっと続き、お盆明けにはいつも涼しくなるこの地域でも、まだ日中は30℃を超え。体がしんどいのも気持ちが追いついてこない原因の一つだろうと、意識して休みつつ過ごした8月。それでも、9月に入ってやっと朝晩が20℃を切り、涼しく感じられるようになりました。ああ、身体が楽だ。

過ごしやすい気候になると次第に、だいぶ予定通りではないけれど、つくれる日々に入ってホッとしてます。初、兵庫での展示、楽しみに。

君たちはどう生きるか

義父母のお盆の法要で家族で名古屋に出かけたので、都会で何か?ということになり、映画を見ることにした。村上隆氏が、インスタで絶賛(?)していたので、予約して楽しみに行った。

ネタバレ的な感想。

新しい表現ではなかった。私は克明に照らし合わせるような記憶力はないのでふわっとした既視感。夫コメントで腑に落ちたのだけど、これまでの「ホルス」とか「コナン」とか「トトロ」とか「ポニョ」だとかの過去作の総集編、ただひたすら、宮崎駿さんの内面を、「僕はこう生きた」と言わんばかりに駆け巡った感じ。宮崎駿さんはこの映画をもって、若い世代に引き継いだと感じた。

宮崎駿さんは82歳、80代でこの仕事をするのはすごいなぁ。YouTubeでの「米津玄師 × 菅田将暉 - 僕たちはどう生きるか 対談」を帰ってから見た。お二人は30代前半。なんとなく自分の30代の感覚を思い出す、30歳前後にはその時に感じられるものがある、一つの時代を思い出す。

私は52歳になる夏なわけで、ちょうど間くらい。振り返って、30代前半からは想像し得ない今がある。今、この年になって、年をとる面白さ、記憶が積層してゆく面白さ、それと同時に、年を取ることは残酷で若い時の自分を裏切らないように生きるだけで精一杯だったりもする。そんなに長生きしようとは思ってないけれど、80代まで生きるとしたら、あと30年かぁ。

そう思う一方で、この映画はあの時代の男目線でしか語られていない。没入すべき自分はいない。女がほんとうに思っていたことを知りたいと思う。声なき人の声を聞きたい。この先いつか、男や女やそのほかいろいろの役割だけでなく、1人の人として全ての人がどう生きるか、自ら選びとって進める未来を思う。

うちの12歳の子は「面白かった」とあんまりにも簡潔に言語化していてそれはどうかと思うけど、そんなこと私がどうこう言う必要はなくて、今の若い人たちがそれぞれに想えば良い。そして、この映画は映画館でなくても、それぞれのタイミングで見れば良いんだろうなと思った、何回でも見れば良い。

5月5日と6月の父の日

過去を振り返る日記。

6月の展示前のバタバタして、例年ブログに書いているような事柄を書いていなかったので、忘備録として書いておく。

5月5日の子供の日。弟家族が帰省してきたので、祖父祖母とは別行動で若者(?)といつも登ってる富士見台登山に行った。関東のthe都会に住む弟家族、田舎を満喫してくれたようでよかったです。


すごい山っぽいけど登山道から30分ちょっとで山頂。(ここではない)


まだ5月は寒かったので、恐れていたマダニもいなくて快適だったシュヴァルツ。山頂でなんとかテリアのおじいワンに会って山頂で記念撮影した。(後ろに写ってるのは御嶽山

それから、父の日といつもかぶるけど夫氏誕生日なので、ケーキを作ったりもした。この時は夫氏自ら通販で福井のメロンをお取り寄せしていたのでメロンケーキ。毎年のことなんだけれども、6月中なかばは生クリームが溶けそうになるから、出来たらとっとと食べるというなんだか大忙しなお誕生会でした。

スポンジはいつもの配合で蜂蜜入りのちょっとカステラを思い出す風味。生クリームは砂糖控えめで、メロンはジューシーで美味しかった。何歳の誕生日までこうしてケーキを作るのかわからないけど、まぁ当分は作り続けるでしょう。

あとは2年ほど放置した大石という種類のプラムが鈴なりで15kg以上の収穫だったので、どんどん食べたり、冷凍したり、ジャムにしたり満喫した。この冬には強剪定する予定なので、きっとこんなに実るのは今年限りだと思う。

あっという間に日々が過ぎてゆく。

乗鞍岳

いつもは家の近くの富士見台高原登山で満足していたのだが、連休はとににかく天気が良いと言うし、夫氏のプランで乗鞍岳に行ってきた。(犬は残念ながら留守番)松本方面にはあんなに通っていたけれど、登山は結局千畳敷カールからの木曽駒ヶ岳に登ったのと、村民登山で御嶽山に行ったきり。あとは入笠山程度の登山暦。

自家用車で下道を2時間半弱、その後バスに乗り換えて乗鞍スカイラインを40分ほど、終点の一つ手前の停車場で降りて、雪渓を横切って登り始める。気温は15℃程でバスから降りた時はひやっと感じだが、日差しを遮る物が何もないので登ってゆくと汗が滲む、体感は結構暑かった。

降りたバス停と夫氏 白く見えるのは雪渓である。スキーやスノボ目当ての人もたくさんいた。

山慣れしている夫氏曰く、初心者を連れてゆくのはこの程度が限界、だそうで、バスを降りて既に標高は2,700mを超えていて、山頂は3,026m、流石に酸素が薄い。気圧の変化も富士見台(1,736m)とは桁違い、山頂でポテトチップスの袋は破裂して、サーモスの水筒は中蓋が開いて溢れてた。

人も結構たくさんいるし、場所によっては岩場で細くなっている危険なところもあり、本来休んでる場合じゃないんだけけれど、ちょっと動くと心臓バクバクで、息を整えつつ景色も眺めつつ登る。なんだかんだで結局2時間予定のところ、2時間半?3時間?だいぶ時間をオーバーして登頂。酸素が薄いとこんなに体が動かないんだなぁと、心肺機能の低下(?)を感じつつ、帰りはバスの終点目指して下山。

バス停の周りはなだらかな砂利道と、山野草を眺め歩ける遊歩道も綺麗に整備しているようで、山に登らず散策だけに来ても十分楽しめる作りになっていました。トイレも手を洗う水もあるし。ヒール履いてデートしている人もいた。あと、本気な自転車の人たちがバスを使わず自転車+登山をしていて登山道をサイクルウエアでもりもり歩いてゆく方達も多数いらっしゃった、元気すぎるわ。
 
バスを待つ間におみくじ引いたり、ソフトクリーム食べたりして、自家用車に乗り換えて硫黄臭い温泉に入って汗を流して帰宅。夫も子供もピンピンしている中、私は中盤から軽く頭痛もして結構しんどかったのだけど、ハイシニアな方々もたくさんいて、自分があの年になっても登れるのかちょっと心配になった。何をどう鍛えれば良いのかよくわからないが、諦めずに山と親しんでゆきたい。それはともかく、やっぱり山は良い。

中学校のジャージで登山した娘。

表現する人

山下達郎が盛大に燃えている。あちこちにまとめられていると思うので、詳細はどこかで見ればいいと思うけれど、結構がっかりした。人は老いると改めて思う。

「世界と私のA to Z」を少し前に読んでいたし、Twitter界隈ではフェミニスト、いじめ、ジェンダー、マイノリティなどなど、私自身が50数年間くらしてきた社会と個人との関わり方、捉え方に大きな変化が起きていること、それを自覚せざる得ない状況であることをまざまざと感じ続けている今日この頃。

サンソンでのコメント全文を読む前から、お人柄から弱者としての忖度はきっとしていないだろうと思った、やるなら自ずからに違いない。でも、それよりも、当時から詳細にジャニーズの性被害について知っていようが知らなかろうか、今現在のこの問題に対してどのような見解を持つのか、どのようなことをおっしゃるのかと注視していた。何よりも、今どのように思うかに意味がある、ということを理解していない内容だった。

過去は変えられない、後悔して懺悔することはできても。何よりも大事なことはこれからをどう考えるかなのに、それについて言及しておらず、過去のジャニー氏への尊敬とか仰っている。しまいには「良い楽曲をともに作ることこそが私の本分だと思ってやってまいりました。このような私の姿勢をですね、忖度あるいは長いものに巻かれている、とそのように解釈されるのであればそれでも構いません。きっとそういう方々には私の音楽不要でしょう。」(こちらから引用しました。)と突き放した。

表現者の傲慢、それに尽きます。

きっと、周りに法律的なことや、お仕事的に問題があるかどうかをチェックしてくれる人はいたと思うけれど、アップデートされるべき考え方、性被害を「知らなかった」とか、加害者を「尊敬している」とか言うことが被害者を傷つけ二次被害となること、それ自体が加害者に加担しているのと同意であるという考え方を知る機会が、教えてくれる人が周りに居なかったのだろう。本当に残念だ。

山下達郎さんは70歳、こんなにクソ真面目で勉強家のソングライターでも、表現者として時代にそぐわないこんな発言をしてしまうということ。彼もまた、自覚無きマジョリティであって、人権意識がアップデートされていないということでもある。サンソンのあのコメントが全てであれば、残念ながら私はもうコンサートには行かない。作品と作者の罪は別と声高に言うのは強者の理論でしかない。もう隠居した方がいいんじゃないかな。

表現者であることの意味を思う50代の初夏でした。