kanehen

金属をたたいてつくる人 の忘備録です

表現する人

山下達郎が盛大に燃えている。あちこちにまとめられていると思うので、詳細はどこかで見ればいいと思うけれど、結構がっかりした。人は老いると改めて思う。

「世界と私のA to Z」を少し前に読んでいたし、Twitter界隈ではフェミニスト、いじめ、ジェンダー、マイノリティなどなど、私自身が50数年間くらしてきた社会と個人との関わり方、捉え方に大きな変化が起きていること、それを自覚せざる得ない状況であることをまざまざと感じ続けている今日この頃。

サンソンでのコメント全文を読む前から、お人柄から弱者としての忖度はきっとしていないだろうと思った、やるなら自ずからに違いない。でも、それよりも、当時から詳細にジャニーズの性被害について知っていようが知らなかろうか、今現在のこの問題に対してどのような見解を持つのか、どのようなことをおっしゃるのかと注視していた。何よりも、今どのように思うかに意味がある、ということを理解していない内容だった。

過去は変えられない、後悔して懺悔することはできても。何よりも大事なことはこれからをどう考えるかなのに、それについて言及しておらず、過去のジャニー氏への尊敬とか仰っている。しまいには「良い楽曲をともに作ることこそが私の本分だと思ってやってまいりました。このような私の姿勢をですね、忖度あるいは長いものに巻かれている、とそのように解釈されるのであればそれでも構いません。きっとそういう方々には私の音楽不要でしょう。」(こちらから引用しました。)と突き放した。

表現者の傲慢、それに尽きます。

きっと、周りに法律的なことや、お仕事的に問題があるかどうかをチェックしてくれる人はいたと思うけれど、アップデートされるべき考え方、性被害を「知らなかった」とか、加害者を「尊敬している」とか言うことが被害者を傷つけ二次被害となること、それ自体が加害者に加担しているのと同意であるという考え方を知る機会が、教えてくれる人が周りに居なかったのだろう。本当に残念だ。

山下達郎さんは70歳、こんなにクソ真面目で勉強家のソングライターでも、表現者として時代にそぐわないこんな発言をしてしまうということ。彼もまた、自覚無きマジョリティであって、人権意識がアップデートされていないということでもある。サンソンのあのコメントが全てであれば、残念ながら私はもうコンサートには行かない。作品と作者の罪は別と声高に言うのは強者の理論でしかない。もう隠居した方がいいんじゃないかな。

表現者であることの意味を思う50代の初夏でした。