kanehen

金属をたたいてつくる人 の忘備録です

腰痛

少し前に腰痛になった。

20代の頃からのぎっくり腰持ちなので、それなりに腰痛の知識はあるつもりだったが、ほんのりとした早朝だけの腰痛から、夜中にも寝覚めるようになり、じわじわと寝られない時間が長くなり少しずつ睡眠時間を削られ、終いには22時に寝ても1時に痛みで目が覚めることになった。横になると腰が痛いので昼寝もできない。常に睡眠不足。

不思議なのはそこですぐ医者に行こうと思わなかった事だ。最初は起きて30分もしないうちに痛みは霧散していたし、ついつい日常の忙しさに忘れていたくらいだ。だからそんな大ごとになると思っていなかったのだ。しかし、じわじわと睡眠時間の減少が思考能力を奪った。常に痛みのことしか考えられず、そして原因を取り除けば治るはずと思い込んでいた。

原因は、使い始めて10年近いマットレスの劣化だと思っていた。とにかく、良いマットレスを買うべきだとしか考えていなかった。良いマットレスはきっと値段が高いなと思いながら、近所の家具屋なんぞには良いマットレスは無いだろうから(偏見)どこか遠くに買いに行かないといけない、このコロナ禍に。

そもそも良いマットレスの判断ができるような状態ではなかったはずなのだが。今思うとだいぶ頭もおかしかったとしか思えない。もちろん原因を取り除けば治るのだろうけれど、治るまでは悪くなった時の逆回しで経過してゆくとしても、2週間以上はかかるに違いない。炎症であるところの腰痛は一刻でも早く緩和する方が治りが早い。などとは頭が回らなかった。なんだか夫に当たり散らかしたような気がする。
いよいよ日中ですら痛みで何もできなくなって、土曜。すがる思いで行きつけのオステオパシーのマッサージを受けに行き、その時には痛みは確実に引いていた。しかし、時すでに遅かったのだろう、帰路の運転中に痛みはぶり返し、翌日には24時間痛みっぱなしとなる。しかし、一度は引いた痛みなのだから、安静にしていればと翌日を過ごしてみたが一向に痛みは引かず寝れず。しまいには37度を超える発熱も伴うようになった、痛みと睡眠不足と熱で意識朦朧である。

そして、月曜の朝。夫の会社は同居者が37℃を超えると出社停止である。おかげで夫に車を運転してもらい整形外科に行くことができた。どうにでもしてくれという感じ。強力な湿布と飲み薬を処方され、弛緩剤と消炎作用の飲み薬とそのための胃薬を飲んで、痛みからやっと解放されて泥のように眠った。自由に眠るのは本当に2週間以上久しぶりで、天国かと思った。

2日後にそんなところにも筋肉が?というような腹の脇やその周りが筋肉痛になり、痛みに堪えていろいろなところが緊張しまくっていたのだと気がついた。最後の2日間は痛みで排便時いきむことすらままなくなり、数年ぶりに便秘で悩んだがこれもすぐに解消した。ちなみに、腰痛で排尿ができなくなったら即、外科手術というのをどこかで見てひやっとした。

今回の騒動で何が一番驚いたかって、早く整形外科に行かなかった事だ。基本的に医者は好きでは無いけれど、痛くて寝られないくらいだったらとっとと医者に行くべきだと思えるくらいの判断力はあると思っていた。じわじわと睡眠時間が削られ、慢性的に痛みを感じ続けるとこうも思考能力が妨げられるのかと。

祖母が高齢になった時に、常に体のどこかが痛いと言っていた。若かった私は意味がよくわからなかったけど、言われたところに湿布を貼ったりもした。そして、老人とは早朝覚醒だったりして睡眠薬が必要になったりもするらしいことは知っている。今回、腰痛で靴下を2日ほど自分で履けなかったのだけど、これもまた加齢で起こる現象に近いのだと思う。

痛みと睡眠不足による思考低下。ちょっとの間だけだけれど、今回の腰痛は擬似要介護体験だったと思う。高齢の方々の中に、ちょっと常識では理解できない行動を取られる方がいる。迷惑な老人というやつだ。自分の中にもいくつかの要因が重なれば、あっけなく思考を奪われてしまうことを知った。なんて恐ろしいことだ、だいぶゾッとした。

健康に年をとるのって、実はものすごく難しいのでは?よくなってから、夫と過去の腰痛体験自慢大会を繰り広げて思った。ということで、まだアトリエのリフォーム前の片付けに追われています。