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金属をたたいてつくる人 の忘備録です

工芸青花17/生活工芸と海外

工芸青花17は生活工芸と村上隆さんの特集だという。

工芸青花の会は、1年3冊購読で22,000円の会員制の本を発行している。その17号。三谷さんなどが関わっているけれど、鑑賞の目を養うための本とある。会員制かつその価格帯からしてお金持ち向けで誰向け?と言う感じでこれまでは興味がなかった。

けれど、村上隆さんは著書を2冊ほど読んだりして、馬の目を抜く世界の現代美術サバイバーとして、面白がり、尊敬している。そんな村上隆さんがどうして生活工芸なのかと興味深く工芸青花17を読んだ。村上隆さんは生活工芸が輸出できる概念なのか問いたいとのことだった。

で、工芸青花の17号の感想。

なるほど、5人衆(赤木明登+安藤雅信+内田鋼一+辻和美+三谷龍二)の方々がどのように売れっ子になっていったかが解ったような気がした。(但し、内田さんはちょっと別格だけど)ものすごく雑な言い方をすると、バブル期に販路、人脈、工房規模の拡大に成功させた個人作家が、その後の暮らし系ブームに乗って拡大、既存の工芸とは違うルートを作って、生活工芸という言葉をちょいちょいつかってきた。そして、それは当時の生活系雑誌やら使い手あっての社会現象でもある。でも、生活工芸とはなんだかはわからない。(昭和初期から積み重ねてきた日展的工芸の使い手不在なオブジェ達や、バージョンアップできなかった伝統工芸が踏み台になっている、と確信する。)

そして、ももぐさのトークショー

ももぐさでの展示はナカオさんと辻さんで暮らしの造形Ⅺ、そして生活工芸オルタナティブ記念トークショー(主催:工芸青花・新潮社)「生活工芸と海外」となっていた。

何度か、ももぐさややまほんで生活工芸系のトークショーを聴きに行った事があるのだけど、明確に何かがわかる感じはしない(私が賢くないからかもだが)。ただ、その同じ空間に存在させていただいてありがとうって感じで帰ってくる事が多く、やまほんのトークショーの感想にも書いたけど、生活工芸っていうのがあったなと、過去の騒動として区切りをつけていた。

私の中で区切りのついていた生活工芸だけれども、村上隆さんにいじられて、生活工芸と海外って銘打っているんだから、何か生活工芸の概念が形成されたのか、海外へ向けて明文化されたのかと期待して行ったのだけれども。

ももぐさでのトークショーの冒頭、工芸青花17の特集を振り返って安藤さんが生活工芸にオルタナティブという言葉をつけた意味をオルタナティブロックについて引用し、既存の工芸(≒伝統工芸)に対しての生活工芸として説明していた。辻さんは暮らしの造形展での生活工芸のオルタナティブであるという意味で理解してプラスティクだったらしいけれど。展示はともかく、辻さんがなんだか村上隆さんが生活工芸に興味を持ったんだよねぇとまるで他人事のように語っていたのが印象的だった。

三谷さんは社会的に自然発生した現象、、、なんという単語で表現されていたかは忘れたけど、そういう必要に対して生まれたものであって、「白い器だよね」ブーム的にまとめられる事とは違うと言う。そして、新潮社の菅野さんより補足として特集では語られていないが古道具坂田についてなど。

そして、スライドなどで安藤さん、辻さん、三谷さんの海外での展示のこれまでの報告のようなもの。えーと、こんなことしてきました、こんな素敵なすごい良いギャラリーとお仕事してますって、あら素敵、さすがだわ。

で、時間いっぱいで質問無しで終わりそうだったんで、とりあえずなんか少しでもって質問したのだけど、もっと気が利いたこと聞けばよかったんだけど、「海外で売る時の上代が高いけど、どうですか?日本は安いですよね。」みたいな質問してほんとうにごめんなさい。ある意味、スライドの素敵ギャラリーとの関係の作り方が答えだったのかもなと帰ってきてから猛省。

そして、隣に座っていた岐阜で木工を習ってこれから活動するらしき青年が、「これからのつくり手に向けての言葉をください」って言った時に、安藤さんは「自分の服装とか音楽とかつくるもの以外も気を使おう」みたいなことを言い、三谷さんも「やまほんさんで何をつくったら良いか聞かれた時に、自分の生活をかえりみてつくると良い、と答えているんだけど、自分も同意で、生活をもうちょっと良くしたいとかでみて」と言うようなことを言い、辻さんは「これからの作り手は大変な時期になると思う、私と同じにやってもダメだし、模索してゆくしかない、頑張って!」というような事を言っていて、辻さんが一番率直でそして本当にそうだと思った。

そう、この方達の時代は参考にならないのだとしたら、生活工芸はもう今から積み上げてゆく世代の関心事ではない。むしろ生活で工芸なのは前提で、これからの者には、きっと国内国外問わない動きが当たり前。常にバージョンアップしてゆける力のあるものだけがオリジナルになれるのだと、村上春樹「職業としての小説家」で述べていたし。

もちろん、生活工芸を名乗った世代であってもバージョンアップが必要なのは変わらない。そこではじめて、海外への輸出に耐えうる概念が形成されてゆくのかもしれない。コロナ禍で一旦保留になったかに見えた国外との動きは、メディアの変容も伴って加速しているようにも思う。世界は狭くなったかのような錯覚。

私自身でも、2010年頃からは作品は国外に渡っている。2014年にイギリスでの展示が実現したし、現在も継続して名古屋のAnalogue Lifeの岩越さんや岐阜のGALLERY crossingの黒元さんと共に、海外に作品を出している。そもそも器とか今はつくっていないので、私が生活工芸と関係無くてあたりまえでもあるか。

ただ、まつもとクラフトフェア出展していた2003年〜2010年までの面白かった感じが生活工芸の時代だとすれば、東京藝大の工芸鍛金を通過して、モビールをつくる自分を受け入れる素地にはなったような気もする。

なにはともあれ、自分自身の表現について再考してゆく必要も強く感じている。まずは、現状をより理解し、つくろう。