kanehen

金属をたたいてつくる人 の忘備録です

どうしても頑張れない人たち

一時期話題になっていた、「ケーキの切れない非行少年たち」と、その続編「どうしても頑張れない人たち」を読んだ。

少年院に入るような犯罪を起こしてしまった人の何割かは物事の認知力が弱く、そのために学校・社会生活で困り、その結果として犯罪に関わってしまっている。その、認知の歪みを端的に表しているのが、ケーキを3人で食べると仮定して線を引いた図の表題になっている。そして続編はそれを解決するための知識とメゾットと謳われている。(私はメゾットはちょっとピンとこないけど)

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いつも感想を書くのは読んですぐが多いし、手元に本を置きながら確認しつつ書いている。が、今回は読んだのは少し前で、手元に本がないのでうろ覚えというか、正確さに欠けると思うので、ぜひ、気になる人は本を読んでください。

以下、本に対してフェアで無い、私の感想。

 犯罪者=悪人という人種がいるわけではない。いわゆるサイコパスは悪人という性質なのかもしれないのでその限りではないが、犯罪をして刑務所に入るようなこと、自分に不利益な結果に至る人というのは多かれ少なかれ問題を抱えた人が多いということぐらい、誰でもわかっているのではないだろうか。
 生まれながらに発達に凸凹のあるひとはいるけれど、それ以外にも虐待(身体的、心理的)を受けて育つと脳の発達に影響があるというのはもう定説になっていると思う。私自身もかなり凸凹な人間なので、先天的であると後天的であろうと、自覚があろうとなかろうと、事実を受け止めて、できることを重ねてゆくことが人としての権利だと思っている。その、できることが多様であることを否定する権利は誰にもない。

 だけれど、今の日本の教育では画一的な教育と慢性的な教師の時間外労働と、くだらない慣習は事実を受け止める余裕もない、できるかできないか、できない者は否定され続ける、というのが実情のように感じる。存在を否定され続けてまともでいられるはずがない、壊れるのが当然の結果だろう。スポーツ推薦で進学の後、そのスポーツで挫折した学生は非行に走る率が非常に高いとか、わかりやすい例だ。

 そして、それは学校に限ったことでも無い、だからこそ今SDGsが求められているのだろうと思う。成長し続ける経済モデルは破綻している。人もまた、ありのままの存在で肯定されていい。人間は一人の個人としても、地球の一員としても常に事実を受け止め、できうる限りの誠意をもって生きる。それが社会全体の幸せを作ると信じている。

 私の感想としては、正直、この本を読んで新たな知見としてストックされたことは、事実の断片としてのこのケーキの図くらいかもしれない。だけれど、それだけでベストセラーになるはずはないので、むしろこういう見方が一般的ではなかったということなのだとすれば、それが既に社会全体の認知力の低下なのだと思う。

 本を読む前に、ネットの発達障害のお子さんを育てている親さんや、ケアを専門にされている方たちが、この本は偏見に満ちていて看過できない。というようなことを書かれていて、著者のような犯罪を起こした結果の人たちを見ている人と、一人一人に寄り添いその人を守る立場の人で見えている景色が違うのだろうと思った。私も著者の、中年男性のマジョリティ(社会的強者)として生きていきた人特有の物言いに違和感を感じた部分もあった。それでも、こうして違いを理解して、何かしらの方法で解決を目指すことは大事なことだ。

と、朝から壮大に広げすぎているけれども、今日は涼しいうちにナスの煮浸しをつくって、坊ちゃんかぼちゃをくり抜いてかぼちゃプリンを作っておやつにしようとホクホクして、午後はモビールの組み立てをモリモリやります。目の前のできることをひとつづつ。

8月6日加筆修正


追伸:坊ちゃんかぼちゃはレンジで加熱中に2つとも破裂してしまい、容器としては使えなかったので、かぼちゃ多めの硬いカボチャプリンが大量にできました。