kanehen

金属をたたいてつくる人 の忘備録です

越境と覇権

『越境と覇権―ロバート・ラウシェンバーグと戦後アメリカ美術の世界的台頭』池上裕子著 

 Twitterで読むと良いというのを見かけて、読んでみた。

副題にあるように、当時の現代アートの市場の先端がパリからアメリカニューヨークに移った顛末を、ビエンナーレで大賞をとったラウシェンバーグを軸にその作品の評価の変遷と、転換点になったビエンナーレの各国の思惑、画商、美術館、コレクターなどなど、のやり取り経緯を詳らかに明かしている。

もちろん、その主題はまるで物語のように面白く読めたのだが、第4章で日本でのラウシェンバーグの活動の中で、日本の現代美術のマーケットが形成される時期と重なっている様子が描かれていて、とても興味深かった。ついうっかり昔(?)からあるように錯覚していたアートマーケットだけれども、たったこれだけの歴史しか無いのかと。
無論、その前にも茶の湯はあったし、書も日本画も建築もあったし、工芸もあったのだけど、それはまぁいろいろ市場とか、購買層とか、まぁなんとなく特権階級的な意味での一見さんお断り的なカルチャーとかあったんだろうなと想像。そこからの戦後、アンフォルメルとか具体とかもの派とかスーパーフラットなんだなぁと。

それから、私の中のアートと現代の社会的な意味でのアートの乖離というか違和感が昔からあって、なんでなんだろうとうすらぼんやり思い続けていた。この本には割ときっぱりと「アーティスト=セレブ」という書き方がされていて、びっくりすると共に、それが求められる構造、成立してゆく過程のようなものを認識した。

それは、たぶん「セレブ=アーティスト」ということでもあるんだけど、そこに私の求めるアートがあるわけではない理由があるのだなと、改めて。

あと、この本は英語版が2010年に、2015年に日本語の本書が出版している。このような内容が誰でも(ちょっと高いけど)読める環境になっていること自体が、このアートの戦略はもう時代遅れと考えるのが当然で、2023年の今はどんなことになっているんだろうな。